平成28年6月24日~6月30日 活動場所:岩手県上閉伊郡大槌町 【原口愛藻】


ボランティア内容

1日目 移動日
2日目 AM:仮設訪問(バイオリンとヴィオラのミニ演奏会、傾聴)、震災研修
 PM:バイオリンとヴィオラのミニ演奏会(子ども対象)、バイオリン教室の子どもたちへのミニレッスン(上町ふれあいセンター)、視察
3日目 AM:国体、おもてなし花壇の為の準備(バイパスローソン)
 PM:事務所周辺草ぬき、視察
4日目(月曜、ボランティア休日)
 AM:事務所周辺草ぬき
 PM:英会話教室見守り(大ヶ口多世代間交流会館)、視察
5日目 AM:仮設訪問(ひだまりサロン、傾聴)
 PM:大槌ベース掃除
6日目 AM:コスモスの畑作り(大槌川沿い)、視察
 PM:コスモスの畑作り(大槌川沿い)
7日目 AM:仮設訪問(お茶っこ、傾聴)
 PM:移動
<活動内容>
●傾聴
お茶を飲みながら、被災者の方の話をお聞きします。震災当時、避難が間に合わず流されていく人たちの「助けて」と言う声が今も耳から離れない。その為、アルコール中毒になってしまう方も増えた。津波の中にいる人を助けようと腕を掴むが、このままでは自分も流されてしまう為腕を離してしまう、それがトラウマになった人。津波が黒く渦を巻いていたのを目の前で見ていた為、ガソリンスタンドにある洗車の機械が利用できなくなった人。指一本で網に必死にしがみつき助かった人。仮設住宅を訪問した際、プロの音楽家も一緒にいました。その方の演奏に合わせ震災復興のテーマソングを歌いましたが、「久しぶりに大きい声出せたわ」と喜ぶ人、涙ぐみ言葉が出ない人。「あんな事は誰にも経験させたくない」という人。他県でも災害は起こっており東北だけが特別な災害にあったわけではない、そう自分に言い聞かせるように言う人。話をする中でそれまでと変わらない口調で「家さ全部無くなったしな」「帰る家流されてなくなったしな」と繰り返し言う人々。また、震災直後はストレスから髪の毛がぬけ単発型・多発型・全頭型と円形脱毛症になる子どもも多かったとのことです。傾聴では、日常会話から震災時の話まで様々な話をお聞きしました。

●視察
・城山公園
城山公園は高台にありました。そこには、避難場所として使われた建物もありました。また、高台の下にはお寺があり、震災前は斜面と地面にはお墓がいくつかあったとの事です。現在、大槌町では盛土の最中なので地面は本来震災当時より、数メートル高くなっています。なので、地面にはお墓はないと思っていました。しかし、一部の檀家さんはお墓の移転に賛同できず盛土が出来ずにいる箇所がありました。また、高台のすぐ下には火災の影響を受けた跡もありました。

・旧役場
震災当時、初動対応について話題になった役場ですが津波がひいた後は流されてきた無数のご遺体が建物内に残されていたとの事です。

・マスト
近隣住民の生活に欠かせないスーパーです。駐車場には家や車、瓦礫だけではなくたくさんのご遺体も流されてきたとの事です。

・宝来島周辺
震災当時、船が建物上にのっていた写真が話題になっていましたが現在は撤去されていました。また、沿岸には東京大学大気海洋研究所付属の「国際沿岸海洋研究センター」があります。この建物は現在、1階と2階が津波の影響で使える状態ではなく3階を復旧させ研究を続けているとの事です。分厚いコンクリートで作られた防波堤を津波の影響をうけて倒壊。一部がずれるなどしていました。

・仮設商店街
被災した小学校の校庭では、同様に被災された商店街の方々が集まりお土産屋さん、スナック、鮮魚店、TSUTAYA、定食屋、飲み屋等震災後も場所や外観は変わってしまっても変わらず地域に根ざし地域の方のコミュニティの場にもなっていました。

・浪板海岸
この海岸は「片寄せ波」と言い、寄せる波はあっても返す波のない珍しい海岸だったとの事です。被災前は一年を通してサーフィンをしに来る人々、夏には海水浴をする人々で賑わっていたという海岸。かつては天皇・皇后陛下も近くのホテルに宿泊された際散歩をされたとの事です。震災後は津波の影響で砂浜がなくなり、今ではかつての面影も賑わいもなくなっているとの事です。

・標識
「津波浸水想定区域」の標識ですが、海から離れた場所にありました。

●バイオリンのミニレッスン、英会話教室見守り
 子どもたちの見守りを行いました。ミニレッスンではどこか緊張した様子の子どもたちを、英会話教室では元気な様子の子どもたちの姿をみる事ができました。

●国体、おもてなし花壇の為の準備、コスモスの畑づくり(大槌川沿い)
 秋に岩手県で国体があるとの事で、綺麗な花を植えておもてなしをする為に草ぬきを行いました。

●大槌ベース(宿泊場所)掃除
 私は今回、事務所に宿泊していましたがベースに宿泊していた高校生の団体が帰ったので、スタッフの方と一緒に大掃除を行いました。また、布団にはレイコップをかける等して宿泊したボランティアの方が気持ちよく過ごせるように環境を整えました。こちらの建物は、来年で閉鎖されるとの事です。そして、その後のボランティアの方の宿泊場所は事務所になるとの事です。

<感想>
いわて空港から大槌町の最寄り駅の釜石駅につくまで、周囲の景色は5年前の大震災を連想させるものはとても少ないでした。そこで私は、実際に大槌町に足を踏み入れるまで「あれから“もう5年”」そう思っていました。しかし、実際に訪れた大槌町の第一印象は「あれから“まだ5年”」でした。
大槌町について初めてのボランティア活動で訪れた仮設住宅には、復興の狼煙、ポスタープロジェクトの大槌町バージョンのポスターが貼ってありました。ポスターの下には“私たちは此処にいます。そして、復興をはじめます。今から、みんなで、力を合わせて”と書かれています。このポスターは訪問させていただいた3ケ所全てに貼ってあります。東日本大震災前から、震災後、現在に至るまで関西で変わらぬ日常を送っていた私にとって大槌町で過ごした一週間はこの言葉の意味とその重みを噛み締めるものでした。仮設住宅のすぐそばにはたくさんの新しい家が建っていました。車で移動している際、昨日通ることができた道が次の日には通れなくなっている事も度々ありました。私は、5年も建てば津波で流された場所にもある程度建物が建ち始めていると思っていました。実際は5年たった今でも盛土をしている最中です。また、工事を至る所でしている為に街中ではクレーン車等の工事車両が乗用車と同じくらい身近にあります。震災前には見られなかった光景であり、震災後生まれた子ども達にとっては慣れ親しんだ光景となっていました。“震災前はたくさんの人で賑わっていた”等、“震災前は”そう聞くたびに悲しい気持ちにもなりましたが、その度に復興ポスターの言葉を思い出しました。町や人々の心の復興には、まだまだ10年、20年と時間が必要だと思います。ですが、大槌町では様々な人々が力を合わせて復興を行っています。ですから、時間はかかりますでしょうが、大槌町の復興は心配しなくても大丈夫だと思うことができました。
大槌町で過ごした1週間、様々な事を体験させて頂きました。受けたものが大きすぎるので、何を返していくことができるのか今も悩んでいます。そこで私は答えがでるまで、せめて大槌町で過ごした1週間を忘れないでいる事にしました。周囲の人々にも1人でも多く、私が体験した事を伝えていたいと思います。そして、実際問題すぐには無理ですがいつかまた、大槌町を観光で訪れようと思います。その際には町の変化、連れて行ってもらった魅力的な場所を訪れたいと考えています。