平成23年7月5日~7月9日 活動場所:陸前高田市 【塚谷晴子】


ボランティア内容

5日…車中
6日…1時頃からがれきの撤去
7日…9時から15時頃まで上記同様
8日…9時から12時まで上記同様
9日…車中

<長距離バス移動>
60人を乗せたバス2台で出発し、この5日間で2350㎞の移動距離を経験した。
10代から60代以上の方達が一緒になって参加し、バスの中で自己紹介や感想を言い様々な方達の参加動機や感想を聞く事が出来た。

<活動に入る前に>
事前に準備物や説明などを主催者の方から詳しく話を聞き準備して参加することが出来る。当日ボランティアセンターに着くとあ敷地が小さく、入るまでに時間がかかり、受付にたどり着くまでに時間を要した。未だボランティアを調整するのも大変であり、現実は当日にならないと活動内容が確認でないとのことであった。混乱を防ぐために大勢のボランティアを受け入れないようにボランティアセンタ―を小さくしているのかと感じたがどうだろうか。

<活動内容>
ある方の田んぼ6枚を60人の手作業で何も物が無い田んぼにすること。
貝殻・ビニール・紐・服・靴・アルバム・瓦・畳・コンクリートの固まり・電信柱・船など、ありとあらゆる物が津波により流され、田んぼの中を掘り起こせば埋もれていた物も沢山あった。
畳は水分を含み悪臭を放って虫が集っていたり、本来の田んぼの臭いでも海の匂いでもなかった。
長靴・ゴム手袋が必需品として活躍していた。

<現状>
見た目は綺麗に瓦礫を山積みにしているように見えるが、人命救助の為、重機などを使ってとりあえず一軒一軒山積みにして固めているという風景が一面に見られた。
その中でも未だ、瓦礫の中の捜索をしている現場を見たり、捜索できていない所は一般の方は入ってはいけない場所も沢山あった。

<現場>
陸前高田市小友町と言うところで活動をさせてい頂いた。
震災当日は敷地の両方から海が見えており、両方から津波が押し寄せ、波同士がぶつかり合って他方にも波が広がり、海へ引き戻る力がより強まったそう。

<今の私たちにできること>
現地の正確な現状を広め、協力を広めていく事。
現地の方達の自立した社会に向けて、遠くにいても現地で出来た野菜などを購入する。また、現地に行けるなら、食事や準備物など何もかもを準備して現場に行くのではなく、出来るだけ現地でお金使っていくこと。 復興に向けての合理的なお金や物などの支援ではなく、人と人との繋がりや絆を作り、今よりもなおお互いに助け合える社会へと作って行く事。などが今回より学んだ。

<感想>
陸前高田市に向かって海岸線をバスで移動中、海には屋根が浮いていたり防波堤がどの様な形であったか全く分からない今までに見た事のないような風景が目に飛び込んできた。でも、窓越しに見る風景は無残過ぎてその時は現実味を受け入れがたかった。現状など視覚に訴えるものはマスコミの情報では知ってはいたが、現地の方の直接的な話を聞く事で、状況と話や物語が一致し心により強く印象に残るものとなった。
活動では、貝殻1つでも田んぼに有る事はおかしい事であり、思い出の品などを扱うにも重機ではできない作業であり、人の手を使ってする事が沢山ある事を知らされた。
海水が入った田んぼを綺麗にする意味があるのかと感じたが、その後の田んぼをどう使うにせよ、臭いの元を取り除く事も大切であると思う。
現場に居合わした現地の方達は、ボランティアに当日の話を繰り返し話して下さったり、ありがとうございますとお礼を言ってくださったり、とてもご親切な対応をして下さった。どんな辛い思いをされているかもわからないでいる私たちを快く受け入れてくださった現地の方の思いを少しでも分け合えればと思った。少しでも早く復興することを心よりお祈りしております。
今回ボランティアに参加した60人を調整して頂いた方や、参加されたボランティア同士で声を掛け合い、全員熱中症や大した怪我もなくこの活動を終えることが出来た。また、快く参加を受け入れて下さった施設長はじめ職員の皆さまに感謝しています。このような沢山の方のご協力のおかげでボランティアができていている事を覚えておきたい。ありがとうございました。